Air Tahiti Nui Marquesas Nuku Hiva BThouard

マルケサス諸島の楽しみ方

タヒチから約1,500km、ボラボラ島からは約1,800km離れているマルケサス諸島はフレンチポリネシアの北東に位置し、12ある島のうち、6つの島に人が住んでいます。これらの島々では、他では体験できないような特別な思い出を作ることができるでしょう。

タヒチから飛び立った飛行機は、ヌクヒバ(Nuku Hiva)空港に到着します。大自然の中にある空港なので、着陸前に多少の揺れに見舞われることもあるでしょう。

巡礼するように旅を楽しむ

ヌクヒバ(Nuku Hiva)は、ウアフカ(Ua Fuka)、ヒバオア(Hiva Oa)と並ぶ

マルケサス諸島にある3つの空港のひとつです。

ヌクヒバ(Nuku Hiva)空港周辺は、草原が目立ちます。暗い雲の帯の下から差し込む太陽、太陽と雨に包まれる大地。到着したばかりの旅行者は信じられないような美しさに立ちすくむこともしばしばです。マルケサス諸島は、他の場所とは光の差し方が違うように見えます。

マルケサス諸島の訪問は、観光という言葉よりも冒険という言葉がぴったりです。「男たちの地(マルケサス語でTe Henua Enana)」という単語を思い浮かべるとき、同時に頭に浮かぶのは巡礼(pilgrimage)という言葉です。「男たちの地」という言葉は、フレンチポリネシアの最北東部に位置するこの諸島の大もとの名前です。一般的に知られているマルケサスという名前は、1595年にスペイン人のアルバロ・デ・メンダーニャが名付けたものです。しかし「男たちの地」という古代の名前には、より深い意味があるように思います。

ポリネシア・トライアングルを制覇する

マルケサス諸島は、フレンチポリネシアの歴史を語る上で欠かせない場所です。マルケサス人の祖先は、太平洋の東部、北部、南東部を植民地化しようと試みました。彼らは神々への信仰は強かったのですが、星への知識がなく、それは無謀な挑戦でした。結果、彼らはハワイとアオテアロア(ニュージーランド)の南西地域へと辿り着きます。今でも、ハワイ人とマオリ人はマルケサス語に似たポリネシア語を話します。

また、南米の海岸まで東進し、サツマイモ(クマラ)やカラバッシュ(フエ)など様々なものをフレンチポリネシアに持ち込みました。また、彼らの挑戦は芸術面にも影響を与えました。フレンチポリネシアは他に類を見ないほど彫刻に精通していますが、それも彼らの影響でしょう。

マルケサス諸島は、その景観、文化、遺跡のすべてにおいて非常に多様で豊かであるため、一度の旅行ですべてを見ることは不可能でしょう。ここでは、まず、最初に訪れるべき6つの必見スポットをご紹介します。

Air Tahiti Nui Marquesas Nuku Hiva MSatori

ヌクヒバ(Nuku Hiva)北部

島の南部に位置するタイオヘウ(Taiohae)とタイピバイ(Taipivai)は、空港から舗装道路または砂利道を走り、約90分で到着します。ロバート・ルイス・スティーブンソンの代表作の中で触れられているハティヘウ渓谷(Hatihe'u Valley)やヒコクア(Hikokua)の遺跡を見学するにも90分ほどを要するでしょう。標高1224m、島最高峰の地テカオ(Tekao)は、渓谷、海に続く険しい崖、静かな湾の風景の中でひときわ目立つ存在です。そして、空港からの道中では、北米を彷彿とさせる息をのむような渓谷があり、緑豊かな南部と乾燥した北部を隔てています。

タヒチ ヌイ ヘリコプターで島の上空を飛行することは、一生に一度の体験であり、この島の荒々しい美しさ、地質学、そしてマルケサス人の個性を形成した比類ない環境について、新たな理解を与えてくれることでしょう。

洞窟、細長い湾、アナホ(Anaho)湾の黒砂と白砂のビーチ、ハカウイ(Hakaui)渓谷にある350mのヴァイポの滝といった自然の驚異は、遺跡の魅力をより強固なものにしています。

Air Tahiti Nui Marquesas Ua Pou

ウアポウ(Ua Pou) 空に浮かぶ峰々

マルケサス諸島北部に位置するウアポウ(Ua Pou)は、その独特な地理と豊かで文化的な歴史により、訪れる人を惹きつける場所です。約2,200人の住民は、彫刻、歌、踊りに芸術的な才能を有しており、まるでその才能を神から授かったかのように感じられます。島では、遺跡だけでなく日常生活のあらゆる面にマルケサスの文化が浸透しています。ホホイ渓谷(Hohoi)で見られる花のような小石のように、自然までもが芸術的です。

2つの山に挟まれたウアポウ(Ua Pou)のアルティポート(山に囲まれた小型飛行機のための空港)へは飛行機でしか行けません。その体験は忘れがたいものになるでしょう。着陸前には、まるで空を支えているかのような雄大な峰々を眺めることができます。オアベ(Oave)山(1,230m)、マタヘヌア(Matahenua)山(1,228m)、プテタイヌイ(Poutetainui)山(979m)の目もくらむような高さの玄武岩を取り囲む12の尖塔と無数の柱のおかげで、島はまるで大聖堂のように見えます。上空から見ると、雄大な島さえも小さく感じられるでしょう。

「男たちの地」、マルケサス語で「Te Henua Enana」。マルケサス諸島の本来の名前を、ここでは実感することができるでしょう。
Air Tahiti Nui Marquesas Ua Huka

ワイルドな島 ウアフカ(Ua Huka)

最北部にあるこの島は、最も小さな島でもあります。島の南海岸に約600人が暮らしていますが、野生の馬や放し飼いのヤギの数は推定1500頭で、島に住む人の数をはるかに上回ります。島は熱帯の庭園で、メイアウテ(Meiaute)の赤いティキやヴァイキビ(Vaikivi)高原の精巧なペトログリフなど、貴重な遺跡や工芸品が保存されています。

Air Tahiti Nui Marquesas Fatu Hiva MSatori

伝統が残る島ファツヒバ(Fatu Hiva)

マルケサス諸島の最南端、人里離れたファツヒバ(Fatu Hiva)へ。もともとは、ファツヒバはその名前にHがなく、ファツイバ(Fatu Iva)という名前の場所でしたが、19世紀にHが加えられ、現在の名前となりました。

ヴェルジェ湾(Baie des Verges)は、フレンチポリネシアで最も美しい湾のひとつです。人々を見守る石の巨人のような玄武岩の柱の下には、ハナバベ(Hanavave)村があります。村の南西に位置するオモア(Omoa)は、巨大な魚の形をしたペトログリフが有名です。

ファツヒバはタパの島でもあります。タパとは植物の樹皮にタトゥを入れたものです。女性が戦士を誘惑するために身に着けていた、うっとりするような香りを持つウムヘイの花輪とは対照的に、タパは思い出として長くもっていられるものです。

Air Tahiti Nui Marquesas Tahuata

タフアタ(Tahuata)の歴史

1595年7月27日、白い砂とターコイズブルーの海が広がるバイタプ湾に、見慣れない船が入港しました。この船には、アウトリガー(移住や戦い、漁に使うポリネシアのカヌーによく見られる仕様)がなく、これはマルケサス諸島では非常に珍しいことでした。東ポリネシアを訪れた最初のヨーロッパ人はスペイン人でした。「Las Islas Marquesas Don Garca Hurtado de Mendoza y Canete」という地名は、スペイン探検船の指揮官であったイヴァロ・デ・メンダア・デ・ネイラが、ペルー総督夫人に敬意を表してつけたものです。長い年月を経て、名前の最初の部分だけが、今のマルケサス諸島の名前として残りました。

タフアタはまた、1842年9月にバイタプ渓谷の麓にあるバイタプの村に住む人々とフランス人との間に起こった紛争にも関係しています。この紛争で犠牲になったフランス人船員の墓地は今でも訪れることができます。

ここから南西にはハナテファウ(Hanatefau)のペトログリフや、ハパトニ(Hapatoni)村には完全舗装された古代の王道があります。この島の手つかずの美しさを堪能するには、ツアーに参加するのもよいでしょう。巨大なロブスターを堪能できるランチを是非満喫してください。

Air Tahiti Nui Marquesas Hiva Oa TTourisme

ヒバオア(Hiva Oa) 巡礼の旅

最後に、マルケサス諸島で最も大きく、最も象徴的で、最も愛らしい、そして最も有名なヒバオア(Hiva Oa)をご紹介しましょう。アツオナ(Atuona)は、ポール・ゴーギャンとジャック・ブレルの終焉の地であり、ゴーギャンの「メゾン・デュ・ジュール」など、彼らが数々の思い出を残した場所でもあります。

ヨーロッパ人が訪れる前の時代において、ここが住居や儀式の中心地として重要な場所であったというだけではなく、絵のように美しいハナイアパ渓谷を含む湾、ビーチ、渓谷がある類まれな美しい自然に囲まれた場所でもあります。プアマウのリポナにあるタアオア渓谷には、時には数ヘクタールにも及ぶ面積、台地(パエパエ)、集会所(トフア)、礼拝所(メアエ)が広がっています。

珍しい種類の樹木や巨大な果物の木が生い茂る密林を抜けると、ペトログリフ(ハティヘウ)や、高さ2.60mもあるティキといった、ポリネシア最大のティキが現れます。こうした、歴史を感じるものとの出会いは、旅の大きな魅力の1つです。ブレルやゴーギャンが晩年をこの地で過ごそうと決めた理由は、その自然の美しさと人々の温かさにあったのでしょう。